日蓮聖人立教開宗750慶讚 音楽大法要
4月5日 4月6日 4月7日
法華経千部読誦会法要
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法華経千部読誦会法要
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狂言・舞楽奉納
   
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花祭り親子コンサート
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改修落慶音楽大法要
       
 
その1
          その2
          その3
4月7日
12:35   初伽陀  
如三世諸佛 説法之儀式 我今亦如是 説無分別法

初伽陀 写真>> 伽陀とはお経の偈文の意。この偈文を二句から七句、節をつけて唄い(声明)ました。
         
    道場偈  
我此道場如帝珠 十方三寶影現中
我身影現三寶前 頭面接足帰命禮

>> この場所が仏様の居られる道場であることを讃える声明です。
         
    三宝礼  
一心敬禮 十方一切 常住佛
一心敬禮 十方一切 常住法
一心敬禮 十方一切 常住僧

三宝礼 写真2三宝礼 写真1>> 仏・法・僧の三宝に礼拝し、来臨を願う声明です。
         
    切散華  
欲説法華経 香華供養佛
大哉大悟大聖主   香華供養佛
願以此功徳   香華供養佛

切散華 写真>> 仏様は華を敷いて座とされますので、花びらを撒いて、仏様を請い、法を聞き、また供養をするための声明です。
         
    別拝  
至心頂禮 千光山上 玄題始唱 高祖日蓮大菩薩

別拝 写真>> ここで改めて日蓮聖人の来臨を請い願い、初めて全世界に向けてお題目をお唱えになられた徳を讃える声明です。
         
    対揚
次第音
 
南無久遠実成 一乗教主釋迦
多寶分身證誠 高祖大士示教
天下法界平等 所願成辨上行菩薩

対揚 写真2対揚 写真>> お釈迦様・多宝如来そして十方分身の諸仏の御前において、この法要が立教開宗750年の慶讃法要であることを奉告する声明です。
         
    中楽   >> 雅楽曲「けい徳」(平調)
         
    慶讃奉告文   慶讃奉告文 写真2慶讃奉告文 写真1>> 導師がお釈迦様・日蓮聖人に、法要の主旨を申し述べました。
         
    堂塔伽陀
散華
 
我此土安穏 天人常充満
園林諸堂閣 種々寶荘厳

>> この土は安穏であって天の神々や人々がつねに満ち溢れ豊かな園の樹木や種々の宝によって厳かに飾られている。すなわち、この法要中の有様を表しつつ讃ずる声明です。
         
13:05 神力偈
妙法蓮華經如來神力品第二十一
「諸佛救世者 住於大神通 爲悦衆生故・・・」
経本 50頁
>> 日蓮聖人は釈尊滅後二千年を過ぎて末法に入ると乱れた時代になって行き、人々が仏様の教えを信じなくなって行く。これらを救済するための特別の要法たる妙法蓮華経の五字を、特別に本化の菩薩(上行・浄行・無辺行・安立行の菩薩)に付属されたのが神力品であると云われています。
         
    祖訓
(諸法実相鈔)

 
如何にも今度信心をいたして、法華経の行者にて、日蓮が一門となり通し給うべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらん歟。地涌の菩薩に定まりなば。釈尊の弟子なること豈に疑うべきや。経に云く、我從久遠來 教化是等衆とは是れなり。末法に妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女は嫌うべからず。みな地涌の菩薩の出現にあらずんば唱え難き題目なり。日蓮一人始めは南無妙法蓮華経を唱えしが、二人三人百人と次第に唱え伝うるなり。未来も亦た然るべし。是れ豈に地涌の義にあらずや。剰さえ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは大地を的とす。ともかくも法華経に名を立て身を任せ給うべし。

>> いかなることがあっても、このたびは信心を強くして法華経の行者となり通し、日蓮の一門とおなりなさい。日蓮と同意ならば地涌の菩薩ではないか。地涌の菩薩に定まれば、釈尊の久遠の本化の弟子であることは疑いのないことであろう。涌出品には「我は久遠よりこのかた、これらの衆を教化す。」と説かれている通りです。末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女の区別をつけるべきではない。みな地涌の菩薩の出現でなければ、唱え難き題目である。日蓮が一人で初めは南無妙法蓮華経と唱えだしたが、二人三人百人と次第に唱え伝えていくのである。未来もまたこのようになっていくことであろう。このことがすなわち地涌ということの意義ではなかろうか。広くこの妙法が流布したときは、日本中に南無妙法蓮華経と唱える人々で満ち溢れることは、まさに大地を的とするように確かなことである。ともかくも法華経に名を立て、身を任せて、経文のごとくに実践してみることです。